調布市武者小路実篤記念館

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特別展示会 武者小路実篤展 −武者小路家より資料寄贈を記念して−

タイトル(ヨミ): トクベツ テンジ カイ ムシャコウジ サネアツ テン ムシャコウジケ ヨリ シリョウ キゾウ ヲ キネン シテ
資料番号:037198   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)  
著作者: 【著・作者】東京都近代文学博物館
著作者(カナ): トウキョウトキンダイブンガクハクブツカン
内容: 【備考】会期/1977年10月1日−10月21日 【収録】P2−P4/「武者小路実篤展に寄せて 稲垣達郎」1977年9月9日 【収録】P5−P7/「武者小路実篤随聞記 実篤文庫 中川孝」 【収録】P8−P12/「武者小路実篤と「白樺」 紅野敏郎」
発行: 【発行・制作所】東京都近代文学博物館 【発行・制作所住所】東京都目黒区駒場4丁目3番55号
日付: 【発行年月日】昭和52年9月30日
西暦: 1977年 9月 30日

雑草の詩

タイトル(ヨミ): ザッソウ ノ ウタ
資料番号:037200   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)  
著作者: 【著・作者】狩野 誠
著作者(カナ): カノウ マコト
内容: 【版次】第4刷発行 【備考】狩野誠講演録 ABCフォーラム/編 【備考】装幀/カバー付き 【収録】P21−P23/著者が実篤に序文を書いて貰えるまでのエピソードあり。「(略)武者小路実篤全集があったんですね。「あ、そうだ、武者小路先生にお願いに行こう」。(略)まず電話帳で探して、それで武者小路実篤先生のうちを捜しながら行ったんです。ちょうどその時、武者小路先生は文化勲章を取られた年でした。新宿の京王線で行きまして、仙川、桐朋音楽大学の裏、今、武者小路記念館になっています。 (略)書生さんに「先生にお会いしたいので」ってこう言ったんですよ。そしたら、「紹介状は」と言うんです。(中略)−断られました。ピシッとドアを閉められて。(中略)あずまやで待っていたら武者小路先生、やがて一時半になって出てきた。(中略)「先生、お懐かしゅうございます」(笑)。お懐かしゅうございますって、一回もお会いしたことなんかありません(笑)。武者小路先生びっくりしまして、「うん? 君はどこから来たかね」って言うんです。(中略)先生のご序文が頂戴できましたら、出版できるかと思います」と言って恐る恐る原稿を出したんです。そうしたら先生は「私も若いときに九州の日向で新しい村をつくるので数年間百姓をしたことがあるが、大変だね。きみ、よく、やっとるね。来たまえ」。(中略)先生は序文を原稿用紙二枚位、さらさらっと書いてくれました。(中略)先生がどんな原稿を書いてくれたかと思ってこう見ましたら、何か紙が、落っこってくるんですね。拾ってみたら一万円札が二枚。(中略)涙があとからあとから出てくるんです。」 【収録】P24−P25/実篤が『開拓の農民』に書いた序文あり。昭和32年春 。
発行: 【発行・制作所】ABCフォーラム 【発行・制作所住所】愛知県名古屋市瑞穂区下山町1−1−22株式会社そふと研究所内
日付: 【初版年月日】1992年(平成4年)4月 【発行年月日】2009年(平成21年)6月
西暦: 2009年 6月

雑草の詩

タイトル(ヨミ): ザッソウ ノ ウタ
資料番号:037201   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)  
著作者: 【著・作者】狩野 誠
著作者(カナ): カノウ マコト
内容: 【版次】第4刷発行 【備考】狩野誠講演録 ABCフォーラム/編 【備考】装幀/カバー付き 【収録】P21−P23/著者が実篤に序文を書いて貰えるまでのエピソードあり。「(略)武者小路実篤全集があったんですね。「あ、そうだ、武者小路先生にお願いに行こう」。(略)まず電話帳で探して、それで武者小路実篤先生のうちを捜しながら行ったんです。ちょうどその時、武者小路先生は文化勲章を取られた年でした。新宿の京王線で行きまして、仙川、桐朋音楽大学の裏、今、武者小路記念館になっています。 (略)書生さんに「先生にお会いしたいので」ってこう言ったんですよ。そしたら、「紹介状は」と言うんです。(中略)−断られました。ピシッとドアを閉められて。(中略)あずまやで待っていたら武者小路先生、やがて一時半になって出てきた。(中略)「先生、お懐かしゅうございます」(笑)。お懐かしゅうございますって、一回もお会いしたことなんかありません(笑)。武者小路先生びっくりしまして、「うん? 君はどこから来たかね」って言うんです。(中略)先生のご序文が頂戴できましたら、出版できるかと思います」と言って恐る恐る原稿を出したんです。そうしたら先生は「私も若いときに九州の日向で新しい村をつくるので数年間百姓をしたことがあるが、大変だね。きみ、よく、やっとるね。来たまえ」。(中略)先生は序文を原稿用紙二枚位、さらさらっと書いてくれました。(中略)先生がどんな原稿を書いてくれたかと思ってこう見ましたら、何か紙が、落っこってくるんですね。拾ってみたら一万円札が二枚。(中略)涙があとからあとから出てくるんです。」 【収録】P24−P25/実篤が『開拓の農民』に書いた序文あり。昭和32年春 。
発行: 【発行・制作所】ABCフォーラム 【発行・制作所住所】愛知県名古屋市瑞穂区下山町1−1−22株式会社そふと研究所内
日付: 【初版年月日】1992年(平成4年)4月 【発行年月日】2009年(平成21年)6月
西暦: 2009年 6月

雑草の詩

タイトル(ヨミ): ザッソウ ノ ウタ
資料番号:037202   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)  
著作者: 【著・作者】狩野 誠
著作者(カナ): カノウ マコト
内容: 【版次】第4刷発行 【備考】狩野誠講演録 ABCフォーラム/編 【備考】装幀/カバー付き 【収録】P21−P23/著者が実篤に序文を書いて貰えるまでのエピソードあり。「(略)武者小路実篤全集があったんですね。「あ、そうだ、武者小路先生にお願いに行こう」。(略)まず電話帳で探して、それで武者小路実篤先生のうちを捜しながら行ったんです。ちょうどその時、武者小路先生は文化勲章を取られた年でした。新宿の京王線で行きまして、仙川、桐朋音楽大学の裏、今、武者小路記念館になっています。 (略)書生さんに「先生にお会いしたいので」ってこう言ったんですよ。そしたら、「紹介状は」と言うんです。(中略)−断られました。ピシッとドアを閉められて。(中略)あずまやで待っていたら武者小路先生、やがて一時半になって出てきた。(中略)「先生、お懐かしゅうございます」(笑)。お懐かしゅうございますって、一回もお会いしたことなんかありません(笑)。武者小路先生びっくりしまして、「うん? 君はどこから来たかね」って言うんです。(中略)先生のご序文が頂戴できましたら、出版できるかと思います」と言って恐る恐る原稿を出したんです。そうしたら先生は「私も若いときに九州の日向で新しい村をつくるので数年間百姓をしたことがあるが、大変だね。きみ、よく、やっとるね。来たまえ」。(中略)先生は序文を原稿用紙二枚位、さらさらっと書いてくれました。(中略)先生がどんな原稿を書いてくれたかと思ってこう見ましたら、何か紙が、落っこってくるんですね。拾ってみたら一万円札が二枚。(中略)涙があとからあとから出てくるんです。」 【収録】P24−P25/実篤が『開拓の農民』に書いた序文あり。昭和32年春 。
発行: 【発行・制作所】ABCフォーラム 【発行・制作所住所】愛知県名古屋市瑞穂区下山町1−1−22株式会社そふと研究所内
日付: 【初版年月日】1992年(平成4年)4月 【発行年月日】2009年(平成21年)6月
西暦: 2009年 6月

開館15周年記念 企画展「生誕120年 椿貞雄展−椿貞雄と岸田劉生−

タイトル(ヨミ): カイカン 15 シュウネン キネン キカクテン セイタン 120 ネン ツバキ サダオ テン ツバキ サダオ ト キシダ リュウセイ
資料番号:037203   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)  
内容: 【付属物】図録正誤表 【収録】P6/17歳で黒田清輝に支持した劉生は、「1911年(明治44)には『白樺』と出会い、ゴッホやセザンヌらの後期印象派に深い興味を抱いた。同年には武者小路実篤、長与善郎ら白樺同人と交友を持つようになり、これらの出会いに大きく啓発され画家として「第二の誕生」を自覚する。」 【収録】P26/「第3章 椿と劉生−鵠沼時代−」に「この頃の湘南は鵠沼に劉生、茅ヶ崎には萬鉄五郎が鎌倉には武者小路、長与善郎、梅原龍三郎らが住み、若い芸術家たちが行き交った。」とある。 【収録】P34/1920年鵠沼時代の大正九年一月三十一日(土)劉生日記。「(略)約束の武者の「友情」及アダムという地方雑誌の表紙を今日一杯ににかゝねばならぬを思い出し、急ぎ二階に上がりて、かき出す。「友情」は染め物にするつもりなればさういふ図案にする。うまく出来たり。強き味也。扉及二人麗子坐像の見返をかき、アダムの表紙をかき居る所へ安良たち帰り来る。」 【収録】P48−P49/ 岸田劉生による、「武者小路実篤「カチカチ山と花咲爺」の挿絵原画」、「武者小路実篤『友情』特装本表紙」あり。実篤の「友情」は『大阪毎日新聞』に1919年(大正8)10月16日から12月11日まで連載された。初版は劉生の注文で木綿の布地に図案を黒字に白赤の染抜きにして、天金という凝ったものであった。 【収録】P62/「第4章 劉生の死と椿の開眼」に、「1927年(昭和2)11月に開かれた大調和展は、当時『大調和』という雑誌を発行していた武者小路実篤が、劉生の再起を願う展覧会を企画し、草土社、白樺同人ら親しい人々が集まり、劉生がこの展覧会を機に、一日も早く遊蕩生活を清算して画業に没頭する生活に戻ることを願ったが、翌年の満州旅行によって中断される。」とある。 【収録】P63/劉生の葬儀は椿が中心になって行われ、その椿の動きに感謝する実篤からの書簡あり。劉生の後を継ぐものは椿だと実篤が認識している内容である。1930年実篤と椿の写真あり。 【収録】P73/「第5章 椿の芸術−日本人の精神と美の表現−」に、「後年椿は、自分の生涯を通じて精神的支えとなったのは、岸田劉生、武者小路実篤、長与善郎だったと述懐している。(略)武者小路実篤も「草土社では二三岸田から客分として尊敬をもたれていた人の他は、岸田のエピゴーネンにすぎなかった。一人間としてはいい人達だが、画家としてものになったのは、四、五人きりで、それらは皆岸田ばりからぬけ出た。岸田の流れを踏んでものになったのは椿貞雄くらいのものである。」とある。 【収録】P82/「「白樺」の同人として名を連ねていた椿は、武者小路を通じて柳宗悦らの民芸運動の人々とも交友を持っていた。」 【収録】P105/「愛情の画家2人 椿貞雄と岸田劉生をめぐって 加藤千明」実篤とのエピソードあり。 【収録】P110/椿と劉生をめぐる人々に実篤の名前あり。
発行: 【発行・制作所】米沢上杉博物館 【発行・制作所住所】山形県米沢市丸の内1−2−1
日付: 【発行年月日】2016年6月25日
西暦: 2016年 6月 25日

企画展「椿貞雄と草土社の画家たち 草のささやき 土のかほり」

タイトル(ヨミ): ツバキ サダオ ト ソウドシャ ノ ガカタチ クサ ノ ササヤキ ツチ ノ カホリ
資料番号:037204   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)  
内容: 【付属物】挟み込み/出品リスト・もっとたのしむ鑑賞シート(3部) 【備考】会期/2024年11月23日(土)−2025年1月13日(月・祝) 【付属物】図録正誤表 【収録】P6−P7/椿貞雄の孫 東彩子の寄稿文「椿家の書棚」に実篤の名前あり。 【収録】P8/「椿貞雄をめぐる人々」の中に、実篤の名前あり。 【収録】P20−P21/「第2章椿貞雄と白樺派」にて、白樺派や実篤との出会いのエピソードあり。岸田劉生による油彩画、武者小路実篤像(1914年 3月12日)あり。「岸田は、1911年(明治44)、柳宗悦の家に西洋名画の複製を見に行ったその場で、初めて武者小路に出会う。当時、武者小路は代々木に近い千駄ヶ谷に住んでおり、ほとんど毎日といってよいほど岸田とお互い行き来している。本作を武者小路は終生非常に大切にしており、自宅の玄関に飾っていた。」 【収録】P24−P25/旧実篤コレクションとして、ロダンの「スフィンクス」、レンブラントの「イサクを愛撫するアブラハム」、ゴヤの「自画像」、マチスの「椅子にすわり物思う裸婦」の掲載あり。「当時、国内で西洋美術のオリジナル作品を見る機会はほとんどなく、武者小路らは輸入書籍や複製画を扱う東京・丸善へ足繁く通った」。「1936年(昭和11)にドイツ・ベルリンで開催されたオリンピック第11回大会の現地レポートを朝日新聞から依頼された武者小路は、この一度のヨーロッパ訪問のチャンスを活かし、各地の美術館をめぐり、青年時代からあこがれ続けた西洋美術作品の実物を鑑賞した。パリではマチス、ルオー、ドラン、ピカソらに直接会っている。」 【収録】P79/椿貞雄「桃図」に、実篤の詩「野菜の画に」掲載あり。 【収録】P89/「椿貞雄宛て武者小路実篤書簡 1957年(昭和32)」あり。「君の病気で入院して居る事を聞き中川がお見舞いにゆくと言って今見えたのでこの手紙をかいた くれぐれも身体を大事にしてほしい 君の芸術を尊重して居る 武者小路実篤 椿貞雄兄」
発行: 【発行・制作所】米沢市上杉博物館 【発行・制作所住所】山形県米沢市丸の内1−2−1
日付: 【発行年月日】2024年11月23日
西暦: 2024年 11月 23日

没後50年 愛情の画家 椿貞雄

タイトル(ヨミ): ボツゴ 50 ネン アイジョウ ノ ガカ ツバキ サダオ
資料番号:037205   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)  
内容: 【備考】会期/伝国の杜 米沢上杉博物館 前期/2008年9月27日(土)−10月26日(日) 後期/2008年10月29日(水)−11月30日(日) 【備考】会期/山形美術館 /2008年12月18日(木)−2009年2月1日(日) 【収録】P8/「(岸田)劉生があまりに熱心に椿のことを話すので、武者小路実篤はわざわざ家まで絵を見に行った」記述あり。 【収録】P96/船橋市宮本町西福寺にある椿の墓石は、「椿の墓」と書いてあり、実篤の書によるもの。椿の戒名も「法明院冬柏貞亮居士 實篤書」と実篤の書によるもの。写真あり。
発行: 【発行・制作所】米沢市上杉博物館 【発行・制作所】山形美術館
西暦: 2008年

[チラシ]武者小路實篤全集

タイトル(ヨミ): ムシャコウジ サネアツ ゼンシュウ
資料番号:037207   分類:印刷物   種別:出版関連資料(印刷物)  
内容: 【収録】武者小路実篤全集(並装本)の第2回会員募集チラシ。『文藝講座』の読者に向けての宣伝があり、予約略記あり。会費、毎月払い(1冊分)3円80銭。一時払い(14冊分)50円。
発行: 【発行・制作所】藝術社 【発行・制作所住所】東京駅前丸ビル503区
日付: 【発行年月日】[大正11年9月30日以前か]
西暦: 1922年

[ポスター]映画「その妹」

タイトル(ヨミ): ポスター エイガ ソノ イモウト
資料番号:037227   分類:印刷物   種別:演劇・映画関連資料(印刷物)  
内容: 【備考】松竹大船撮影所
日付: 【発行年月日】1953年
西暦: 1953年

[ポスター]映画「愛と死」

タイトル(ヨミ): ポスター エイガ アイ ト シ
資料番号:037228   分類:印刷物   種別:演劇・映画関連資料(印刷物)  
内容: 【収録】左側上部に栗原小巻の正面アップ。右側に栗原小巻と新克利の二人が肩よせあって、新のトレンチコートを頭から二人で羽織り、雨を遮っているようなポーズ。
日付: 【発行年月日】1971年
西暦: 1971年

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