調布市武者小路実篤記念館

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収蔵品 詳細情報

資料番号:037203   分類:印刷物   種別:展覧会・行事関連資料(印刷物)   配架: 印刷物   原物・複製:原物  

タイトル:

【資料名】 開館15周年記念 企画展「生誕120年 椿貞雄展−椿貞雄と岸田劉生−

タイトル(ヨミ):

カイカン 15 シュウネン キネン キカクテン セイタン 120 ネン ツバキ サダオ テン ツバキ サダオ ト キシダ リュウセイ

内容:

【付属物】 図録正誤表
【収録】 P6/17歳で黒田清輝に支持した劉生は、「1911年(明治44)には『白樺』と出会い、ゴッホやセザンヌらの後期印象派に深い興味を抱いた。同年には武者小路実篤、長与善郎ら白樺同人と交友を持つようになり、これらの出会いに大きく啓発され画家として「第二の誕生」を自覚する。」
【収録】 P26/「第3章 椿と劉生−鵠沼時代−」に「この頃の湘南は鵠沼に劉生、茅ヶ崎には萬鉄五郎が鎌倉には武者小路、長与善郎、梅原龍三郎らが住み、若い芸術家たちが行き交った。」とある。
【収録】 P34/1920年鵠沼時代の大正九年一月三十一日(土)劉生日記。「(略)約束の武者の「友情」及アダムという地方雑誌の表紙を今日一杯ににかゝねばならぬを思い出し、急ぎ二階に上がりて、かき出す。「友情」は染め物にするつもりなればさういふ図案にする。うまく出来たり。強き味也。扉及二人麗子坐像の見返をかき、アダムの表紙をかき居る所へ安良たち帰り来る。」
【収録】 P48−P49/ 岸田劉生による、「武者小路実篤「カチカチ山と花咲爺」の挿絵原画」、「武者小路実篤『友情』特装本表紙」あり。実篤の「友情」は『大阪毎日新聞』に1919年(大正8)10月16日から12月11日まで連載された。初版は劉生の注文で木綿の布地に図案を黒字に白赤の染抜きにして、天金という凝ったものであった。
【収録】 P62/「第4章 劉生の死と椿の開眼」に、「1927年(昭和2)11月に開かれた大調和展は、当時『大調和』という雑誌を発行していた武者小路実篤が、劉生の再起を願う展覧会を企画し、草土社、白樺同人ら親しい人々が集まり、劉生がこの展覧会を機に、一日も早く遊蕩生活を清算して画業に没頭する生活に戻ることを願ったが、翌年の満州旅行によって中断される。」とある。
【収録】 P63/劉生の葬儀は椿が中心になって行われ、その椿の動きに感謝する実篤からの書簡あり。劉生の後を継ぐものは椿だと実篤が認識している内容である。1930年実篤と椿の写真あり。
【収録】 P73/「第5章 椿の芸術−日本人の精神と美の表現−」に、「後年椿は、自分の生涯を通じて精神的支えとなったのは、岸田劉生、武者小路実篤、長与善郎だったと述懐している。(略)武者小路実篤も「草土社では二三岸田から客分として尊敬をもたれていた人の他は、岸田のエピゴーネンにすぎなかった。一人間としてはいい人達だが、画家としてものになったのは、四、五人きりで、それらは皆岸田ばりからぬけ出た。岸田の流れを踏んでものになったのは椿貞雄くらいのものである。」とある。
【収録】 P82/「「白樺」の同人として名を連ねていた椿は、武者小路を通じて柳宗悦らの民芸運動の人々とも交友を持っていた。」
【収録】 P105/「愛情の画家2人 椿貞雄と岸田劉生をめぐって 加藤千明」実篤とのエピソードあり。
【収録】 P110/椿と劉生をめぐる人々に実篤の名前あり。

日付:

【発行年月日】 2016年6月25日

西暦:

2016年 6月 25日
※西暦は収蔵品の大よその時期を示すための目安です。正確な年月日を表していない場合があります。

発行者:

【発行・制作所】 米沢上杉博物館
【発行・制作所住所】 山形県米沢市丸の内1−2−1

寄与者:

【編者】 米沢上杉博物館